イスラム教地域で育った方

敵を愛しなさい

イエスは言われた。「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」「自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。」(ルカによる福音書6:27-28、32-26)

聖書に関する間違った教え

間違った教えの一つに、新約聖書は旧約聖書の改訂版聖書である、という教えがあります。これは、旧約聖書を新約聖書として書き換えるべきだという考え方です。しかしながら、旧約聖書は今まで書き換えられたことはなく、ましてや新約聖書として書き換えられたこともありません。「旧約」聖書と呼ばれるのは、それら書物がアダムとイブの時代からイエス様誕生までの全ての聖句(モーセ五書、預言書など)が含まれるからです。そして「新約」聖書は、イエス様誕生、地上での歩み、死、復活、またその後の使徒たちの働きを含む全ての聖句が含まれます。新約聖書は旧約聖書の成就であり、書き換えられるものではありません。旧約聖書を通して、神様は預言者を通して救い主を送られることを約束しました。新約聖書では、その救い主の誕生と約束の成就が書かれているのです。

現在の旧約聖書と新約聖書は、科学的にもそれら全てが原文であることが証明されています。多くの言語に翻訳されているため、それぞれの言語の解釈の違いは多少ありますが、聖書の事実を曲げるほどのものではなく、イエス様の福音は変わりません。聖書は、イエス様も「神の言葉」と宣言した旧約聖書と、イエス様に最も近い存在であった弟子や使徒たちによって書かれた文書のみが含まれています。他の文書は一切含まれていません。

間違った教えのもう一つに、イエス様はご自身の後にさらなる預言者を送ると約束された、という教えがあります。しかしイエス様は、ご自身が預言の完成と成就そのものであることを宣言されています。(ルカ24:44、ヨハネ12:41、ヨハネ5:46-47、ヨハネ20:31)イエス様が地上を離れて天の父のもとへ行く時、聖霊を送ると言われたことは事実です。聖霊とは、真実を語り、イエス様を信じる人の内側に宿る存在です。

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。」(ヨハネによる福音書15:26-27)

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(第1コリント6:19)

イエス様はただの預言者だったのか?

イエス様は、ご自身が預言者以上の存在であることを宣言されました。預言の成就、完成であり、世の救い主であると表明されました。もしイエス様が預言者の一人であれば、このようなことは宣言しなかったでしょう。

もしイエス様が預言者の一人であれば、このようなことは宣言しなかったでしょう。

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネによる福音書11:25-26)

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネによる福音書14:6)

「事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(ヨハネによる福音書6:40)

イエス様が言われた言葉は、イエス様と共に生きた弟子たちによって目撃、証明されています。弟子たちはまた、イエス様が行われた多くの力強い奇跡や、人々を苦しみや病から解放した癒しの業も目撃しています。それらは全て新約聖書の福音書に弟子たち(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)によって記されています。

数年間もの間その人物と共に生活し、語ることを聞き、行動を目撃した人々と、その人物と会ったこともなく言動も目撃したことのない人々と、どちらを信用するべきでしょうか。

イエス様―神の言葉

イスラム教を知る人なら誰もが知っていることは、イスラム教典であるコーランにイエス様が「メサイヤ」として描かれていることです。古代の「メサイヤ」という言葉は、「救い主」という意味を持ちます。コーランにはまた、イエス様を「神の言葉」とも表現しています。(イムラーン家第3の書42-45)そしてこの「イエス様の言葉」は、弟子たちによって新約聖書に記されているのです。

イエス様が自ら払った犠牲は、キリスト教地域で育った人々のためだけではありません。どんな宗教地域で育ったとしても、この世全ての人々のために払われた犠牲でした。イエス様は、私たちと神との隔たりとなっていた罪を取り去るために十字架にかかられました。そして私たちが神のもとへ戻る道を与えて下さいました。私たちと神との隔たりとなっていた罪とは、不貞、姦淫、利己主義、淫行、憎しみ、争い、嫉妬、怒り、野心、衝突、ねたみ、敵対、不親切、自分自身のように隣人を愛せない心を指します。

神は聖いお方ですから、罪人は神の御国に入ることはできません。しかし神は私たちを愛しているがゆえに、私たちの罪の罰をイエス様に負わせることで、私たちが神様のもとに戻ることができるようにしてくださいました。罪のないイエス様だけが、私たちの罪の罰を受けるためにこの世に生まれ、いけにえの羊となってくださいました。イエス様は、私たちのために全てを十字架上で成し遂げてくださいました。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5:8)

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(第2コリント5:21)

「言葉」とは

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。・・・ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネによる福音書1:1-5、14-18)

彼らはイエス様に尋ねた:

「それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。」イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。わたしと父とは一つです。」(ヨハネによる福音書10:24-30)

「探しなさい。そうすれば見つかります。」

クリスチャンにはそれぞれ異なる歩みがあり、イエス様の言葉もその歩みに従って語られます。もしあなたが心から神様を求め、祈り、御言葉を求めるなら、あなたは必ず神を見つけ、生きた神ご自身の姿を見ると、イエス様は約束しています。イエス様こそが、私たちが神に立ち返る道だからです。

「イエスは言われた。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイによる福音書7:7-8)

「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネによる福音書8:12)

「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」(ルカによる福音書7:23)

イエス様ご自身について、またイエス様の人生、死、復活の目的について知りたい方は、是非聖書を開いてみてください。まずは新約聖書のヨハネによる福音書を読んでいただき、その次に同じく新約聖書のローマ人への手紙を読むことをお勧めします。主の恵みがあなたにありますように。

イエス様の最後の言葉

次の言葉は、イエス様が復活後、地上を離れて元にいた場所へ帰られる直前に弟子たちに語られたものです。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイによる福音書28:18-20)

その他 – アラビア語ウェブサイト:  https://cmaa.us/